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日別アーカイブ: 2024年9月13日

~シンある男の貧乏脱出物語~②アパレル業界は結構大変でした!!

こんにちは!!

スターコーポレーションの粉川です。

私は現在、2024年9月現在60歳になりますが、今から約30年前に

普通のサラリーマン(婦人服の営業)から、会社の為に、2000万円の借金を背負うことになりそこから大きな出会いによって、5年でその借金を返済し人生を変える事ができたお話をします。

そこから続きはありますが、、、、、

【21歳大阪本町のブラウスメーカーに入社】

大阪本町は繊維の街です

最初は、婦人服、アパレルということで、綺麗な仕事を想像していましたが、そうではなくて、この会社では、地方を含めた卸問屋さんを中心に、販売をされていましたので、自社で企画し作った商品を、提案し、そこの問屋さんや各メーカーさんのブランドとして販売されるものを作っていました。

当時はよく理解していませんでしたが、今でいう、OEMですね。

注文頂いた会社の商品として作ること(今はプロティン、化粧品、電化商品と多々あります)

なので、卸値で、安い金額で大量注文を頂くという会社でした。

僕は主に、生産部門で、毎日、生地を原反ごと工場に送る作業、各、パーツ(フリル屋さん、ピンタック屋さん)を作ってもらうところに生地を持っていく、出来上がったら取りに行く、また、納期がありますから、間に合わなかったら、仕上げ屋さんに手伝いに行く。

出来上がったら、佐川急便の最終便で送る。

それでも、ぎりぎりになるときは、鳥取の工場に中国道の山﨑インターまで持ってきてもらい、そのまま大阪市内の仕上げ屋さんに行き、それを手伝って、ラベル(サイズ、生地表示)を作って、つけて、段ボールにつめて、佐川急便の最終便で送る。

この繰り返しをする、毎日でした。

まるでここの赤帽と言われていました。

でも、初めての仕事で運転も好きでしたので、朝から夜の12時までの毎日でしたが楽しく仕事をしていました。

でも給料は、今思えば、アルバイト並みの安い給料でした、、、、

そんなことを、2~3年した時に、営業に行ってくれないかという話になりました。

でもそれが、、、、、、